いちょうの周りで

everyday life , walking and low mountaineering

登山録

あらためて行程。7時半に新宿を高速バスで出発。中央道をおりてやまどう具レンタル河口湖店で予約の登山7点セットを受けとる。

富士スバルラインに入り、11時半頃に五合目着。着替え場所は混雑。土足で部屋に上がる外人が多く砂だらけ。荷物をロッカーに預け昼食。鍋ごと煮込むほうとうを注文。カレーや蕎麦に比べて時間がかかてしまう。

富士山保全協力金1,000円を山梨県に支払って入山。入り口には馬が待機。有償だが七合目くらいまで乗ることができる。同様に下山時も利用可。金額は五万円と聞く。この馬の商売は誰でも出来るものではなく、先祖代々受け継がれた家のみだそう。

1時間ごとに休憩を入れながら山行。息は利き足を出したときに吐いて反対の足を踏み出して吸う。20時前の山小屋着まで続ける。

すべて上りで砂利道以外の岩場はポールを畳んでザックに。高度が高くなるにつれ、1~2列に並んで進む箇所が増える。

水は500mlを2本。YouTubeをみると多めに用意しているが、携行品は軽さが最重要。行動食なども最小限で十分。

ひたすらに登る。

ウェアは化繊Tシャツとロッククライミング用のズボン。初日はほぼこれで通す。

途中の山小屋でカップラーメンを食べる。さらに上の小屋で山頂時のためのアンパン購入。ご来光に合わせてたべると美味いと聞いたが、すぐに半分食べ、しまっておいたらペッタンコ。

約7時間半で八合五勺(はちごうごしゃく)にある御来光館着。なんとなくではあるが空気が薄くなってきたと感じる。高山病はなかった。ここは3,450mで山頂に最短の場所にある。これより上に小屋はない。

さっそく夕食が準備される。ハンバーグ定食でサラダにキャベツもついていた。朝食用の弁当もここで渡された。

食べ終えるとスタッフが寝床を準備。天井梯子をおろし天井裏の床に区切りをつけた場所に案内する。てっきりそこかと思ったが一人で参加の小生はテーブルを片付けたところに案内される。眠られるかの心配はいらなかった。新型コロナウィルス感染により70名の収容だったそうだが、通常の140名に近くに戻っていたように感じた

翌朝は2時起床し2時半出発。Tシャツ、速乾性で前がファスナーのクールウェアにフリースとスボンの上にレインウェア上下を重ねる。山道へ出ると登山者が一列になって進んでいた。ヘッドライトの明かりが山頂まで続く。途中の急坂の岩場で、案内人が登山道の歩き方や並び方、呼吸などをスピーカーを使ってアナウンスしていた。この時間にここで安全を支える。どこの人かはわからなかったが感謝。

1時間半ほど進むと、鳥居とその上の狛犬が出迎える。7月19日4時2分、登頂成功。気温はおそらく5~6度。やり遂げたという感覚だけではなく、もう着いたのかという感じもあった。まだ体力的には少しの余裕あり。東側がオレンジがかる。

山頂山小屋で朝食。豚汁を注文。おにぎり弁当と一緒に食べ、休憩のあとお鉢巡りに進む。

山道では感じなかったが、山頂を通る風は強い。おそらく風速10m程度で油断すると危ない。富士宮ルート方向へ回る途中にある岩の陰に屈んでご来光を待つ。それでも風は舞ってきて注意が必要。

薄い線のような雲と雲の間にある光を見て、富士宮浅間神社奥宮着。すでに開いていて御札や御朱印、お守りを求める人が並んでいた。

隣にある富士山郵便局のポストへ、先に掲載したハガキを数枚投函。ここも6時頃には店が開き、ここでしか買うことにできないハガキなどを求める人ですぐに混雑。ハガキは運搬の都合で1~2週間程度かかるということだったが数日で届く。

太陽が昇ると気温があがる。

太陽の力は大きい。

四方を望む場所はない。お鉢の各場所から、だいたい180度の範囲で見渡せる。

青と白、火山の色しかない。

南方向。

いよいよ最高峰剣が峰へ。