いちょうの周りで

everyday life , walking and low mountaineering

京都ぎらい

数年前に話題となっていた、といっても2015年9月なのでほぼ5年経過。京都と名乗れるのは洛中のみでその他は京都市内であっても違う、著者出身地の西京区嵯峨は洛外で京都ではない。はたから見ると京都らしいという印象しかないが地元では厳然とした差がある。どこの地方も似たり寄ったりのことはある。ただ、歴史があるとより深いのかもしれない。洛中は現在の上京区、中京区、下京区のあたり。明確な仕切りがあるわけではないが。南北朝時代南朝拠点は洛外の嵯峨大覚寺にあった。北朝持明院統と呼ばれる。南朝最後の後醍醐天皇は吉野で没す。なお、現天皇北朝系だが、江戸幕府への対抗上明治政府は南朝に正当性を置いた。

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