いちょうの周りで

everyday life , walking and low mountaineering

盛岡

シンポジウムに参加するため一泊二日で盛岡。初日の夕食はメンバーと盛楼閣で焼肉。その後カラオケゾーンに入る。多種の水とともに流し込んだアルコールが消化されていない体を無理に起こして、宿の外に出てみる。開運橋から、北上川と奥に岩手山

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部屋に置いてあったA4の周辺地図を片手に菜園通りを東へ。時間が読めず、歩く速度を上げる。10分ほどで盛岡城跡(あと)公園に突き当たる。石垣が残る。

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園内のトチノキ、柏や楓には、住んでいるところよりも半歩ほど先の色があった。本丸の北にある二の丸跡の片隅に金田一京助が筆をとった歌碑がある。句は石川啄木の青春を代表する作品。不来方(こずかた)は地名で、この城も築城されたときには不来方城と呼ばれた。

不来方(ごずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五(じふご)の心」

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公園の周りには昔に見られたような店が並ぶ。

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そして盛岡地方裁判所へ向かうと、玄関前で石割桜が出迎える。これは桜の芽が石を割ったのでは無い。

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雷で割れたいわれる石の間に桜が根を下ろして成長した。エドヒガンザクラで、樹齢は360年を超える。機械と使って切ったように直線。

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中央通を戻る。宿の北方向にある啄木新婚の家。式は啄木不在でとり行われた。江戸時代に建てられた武家屋敷。ただ、妻の節子とここで暮らしたのはたった三週間。

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さらに戻る途中にあった閉店の張り紙。あまりにも上手な字にひかれる。新型コロナウィルス感染、それとも年齢によるものなのか、いろいろと重なったのかな、などと考えてしまう。叶わないが、寄ってみたかった。

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冠雪に陽があたってきた。

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ぴょんぴょん舎でランチ。冷麺とビビンバ小丼。列ができていた。人気店でもあるが、相席などを避け人数制限をしていると思われる。なかには修学旅行と思われる中学生も数組。時代に負けることなく進んでほしい。頑張れ。

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16時過ぎの列車で戻る。でもこれが最終のはやぶさ。酒蔵で作ったきんぐらを買って乗り込む。二日間ほぼ快晴。やっぱり晴れはいいね。

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